Rita さんからおじいさまTumasch Rauch について届いた文章をご紹介いたします。
祖父は農業経営者でしたが、たぶんそれより音楽家であったと言う方が当たっているでしょう。絶対音感も身についていました。ごく若い頃からツィターを弾き、後に指導者となるためAnton Smetakの下で学び、彼ともとても親しい間柄でした。
Rauchは多くの生徒達を育てましたので若い頃からツィターの世界に登場していました。また、ギターやマンドリンも、またダンス音楽ではベースを弾き、Scuolのブラスオーケストラではホルンを吹いていた事を私は覚えています。祖父は5人の子供に恵まれ、その一番上の娘が私の母なのです。息子(私の叔父)Linard Rauch (1923-2008)はやはりツィターを弾き、Werner FreyがEngadinに来ている時にはよく一緒に弾いていたようです。彼らには共通の舞台こそ有りませんでしたが、録音されたものは、多数残されています。私はWerner Freyとは直接の面識があるわけではないのですが、確か2008年以前にFtan の教会やScuolの老人ホームで彼の演奏を聴いた記憶があります。
私が両親と一緒に住んで居たZuerich 近郊は、祖父の家のあるScuolから200km.以上離れていますので、祖父からツィターのレッスンを受けた事はありませんでした。でも子供の頃は毎夏4週間Scuolの祖父の元へ行き、干し草作りの手伝いをよくやったものでした。
祖母は1952年に既に亡くなっていましたので、娘一家が来るのを祖父は心待ちにしていたのでしょう。毎晩私達姉妹とツィターを弾き、決して飽きたり疲れたりする事なく楽しみました。取り分けEngadin の民族音楽(これらも祖父が私達の為に書いた曲)を好んで弾きました。妹はツィターを早くに止めてしまいましたので、それからは祖父と私は彼の作品集(差し上げた曲集の様な)や、彼が即興的に作った手書きの楽譜でもよく弾いたものです。
Josef Haustein,Anton Smetak,Simon Schneider 等の沢山の楽譜を彼は持っていました。農作業の終わる秋になると、彼は決まってZuerich近郊の私達のもとへ来ました。そしてその都度Zuerich でコンサ-トをしたものです。
1979年に祖父が亡くなってから、私はLinard Rauch (彼の息子で私の叔父)と弾きました。私達は何年かに亘り、規則的に老人ホームでも演奏をしたのでした。
Linard Rauch の孫娘(Tumasch Rauch のひ孫)はZitherverein Zuerich で現在私達と一緒にツィターを弾いています。
といった内容のものでした。
Tumasch Rauch が生きた頃には上記文中に挙げられた人々の他に、Georg Freundorfer,Fritz Muehlhoelzl,Willi Hintermeyer,Rudi Knabl 等時代を代表する多くの作曲家・演奏家が活躍していました。それは、“ツィターの黄金期” とも言える時代だったと思います。娯楽とて少ない当時,彼らは一般の人々と距離を置くのではなく、生活に根差した音楽としてツィターを奏で、人々はそれをごく普通の事として受け入れていたのだと思われます。その時代から現在まで、Tumasch Rauch から息子のLinard Rauch へ、孫のRitaさん、そしてL.Rauch の孫娘へとツィターが途絶える事無く脈々と伝えられているのを目の当たりにする時、この楽器の歴史をほんの少し俯瞰出来た様な気がするのです。
なお、Tumasch Rauch の曲集からANZアンサンブルは既に二曲練習に取り入れている様です。
2016年12月 KAKO