バーゼル紀行(4)(Kako)

「レラッハの古城遺跡を訪ねて」

9月4日にバーゼルに到着して以来の晴天続き、今日9日は全ての予定をこなしての最終日、美津子さんと私は開放感に溢れてホテルの朝食のテーブルに着きました。空は?と見るとしっとりと小雨模様。7日のコンサート本番も暑い程の快晴に恵まれましたので、この雨もよいにもさして残念に思うでもなく朝食を終えました。

今日はトミーさんがラインの滝を案内して下さる予定でしたが急遽レラッハの古城遺跡へと行き先が変更となったのでした。

レラッハはバーゼルに隣接するドイツの町で、フランス・スイスともごく近くである為、昔から人々の行き来、文物の往来も頻繁で文化的にも進んだ町、その上スイスのバーゼルより物価が安いという有難い所。そういった訳で、この一週間はレラッハの同じホテルに宿泊したのでした。10時頃ホテルを発ち、じきにラインに合流するヴィーゼ川を渡り、5km.ほど丘を登った所に、“古城遺跡・レッテルン”があります。車を降りる頃は幸いにも雲間から薄日の射す、遺跡巡りには丁度良いお天気となったのでした。

遺跡の入り口でトミーさんから『大切なことは、、、』と指揮者が曲のアナリーゼを楽員に説明している様な,このお城の立地条件、(周囲の丘からは飛び抜けて高い海抜452m地点にあり、ドイツは勿論、隣接するフランス・スイスが一望の下に見渡せる事など)の要領良い説明があり、土手や城壁に咲く楚々とした草花を眺めつつ、なだらかな坂を徒歩で登り始めたのでした。

城跡IMG_0421

パンフレットによると、次のように記されています。石造りのこの遺跡は城門からの奥行300m、.最高地点が海抜452mにあり、751年に最初は教会として建てられたものだが十字軍の遠征時代を経て、城となったもので、その最初の記録は1259年。その後1356年にはこのバーゼル近郊三カ国に強い地震が起き、城と教会は被害を受けたが修復により1503年には“山城”の形を整えた。1525年には農民戦争が興ったが、城は被害に遭わなかった。しかし1678年に起きた王位継承戦争により決定的に破壊され、現在に至る。

南門IMG_0429

城壁で囲まれた一番下側、1468年に建てられたというアーチ型の南門を潜り抜けるとそこは屋根が無く、石壁の一部が残っているだけであっても醸し出す雰囲気は全く中世のお城の世界。緩い傾斜が終わり、急になり始めた所には“乗馬で登るのはここまで”との立て看板、これは現在も生きている注意書きで、この近辺では馬を乗馬用に飼っている人も多いとか。

実は2007年に私はここを一度訪れたことがあるのでした。窓からお城が見える所に住んでいたヘルガ・ハインケルを訪ねた折り、『行ってみる?』と問われて「是非とも!」と私。桑の実が実り、赤いさくらんぼが農家の庭先で二・三包売られている時期でした。そうそう、日本に帰ってから、“ヴィーゼンタールの鐘”というフラジオレットの曲を作ってヘルガに贈った事も思い出されました。

つり橋IMG_8486

彼女はその年のさくらの頃に来日した際、私の所にも来てくれました。城ヶ崎海岸の吊り橋や大室山・一碧湖など、伊東の名所を彼女のもう一人の友アナ・ケラーと共に廻ったのでした。

ヘルガ二人IMG_8483

ヘルガもドイツのバーデン・ヴュルテンベルグ ツィターオーケストラの一員として活躍するとともに、スイスのヴァルツェンハウゼンで毎年開かれるセミナーの講師でもありましたが、残念なことに2011年に急逝されました。

門番IMG_8638

ヘルガと訪れた時は、何かの催し物らしく、あたかも中世らしい恰好をした門番が居り、雰囲気を一層高めていたものでした。今回は見物の人と行き交う事も無く、私達だけで全く静かなもの、前城はほとんどが基礎のみ、あるいは柱や壁が部分的に残っているだけですが、お城のお祭りの際に使われたテラスがあります。

客席IMG_0418

『来年のバーゼル・コンサートはここが良いな!』とトミーさん。私達もすっかりその気になって、“舞台”に立ってお辞儀をしたり、、、。

本丸IMG_0423

更に歩を進めると、跳ね橋になっている渡り廊下があり、渡り切ると傾斜は一層急になり、そこからが“本丸”、屋根もあり薄暗くひんやりした食物貯蔵庫や穀物の地下貯蔵庫、井戸そして礼拝堂など、籠城する場合の備えも当時は万全であった事が伺えました。

望楼1IMG_0427

更に奥へ進むと望楼、日本のお城ならば“天守閣”、螺旋状の階段を登り上に出ると、そこは方角表示レリーフが現代風に整えられた展望台です。生憎のお天気で、遠くまで見渡せはしないものの、ドイツ側を見ると高速道路が“黒い森”へと動脈の様に走り、西側はフランス、南はスイスという具合で、中世期ここにお城を造った権力者の意図が如実に伝わる見晴らしでした。

折しも9日は月齢十六夜(いざよい)、日本ならば“荒城の月”、ここヨーロッパには、さてどんな相応しい曲があるのでしょうか。

ぶどう畑IMG_0434

ワインに加工される黒いブドウがたわわに実る丘を下り、ヴィーゼ川を渡るとレラッハより更に大きな町、ヴァイル・アム・ライン、ここで私達とタマラさん、女性三人は大好きなウインドウショッピング。でもレラッハの方が町の佇まいにも落ち着きがあり、歩き易いという事で、一旦ホテルに戻り、改めて遅めの昼食とショッピングに出掛けたのでした。あれでもない、これでもない、ではあちらは?といったショッピングの間もトミーさん、なんて思い遣り深く辛抱強くお付き合い下さった事か、これも心がふんわりした幸せに包まれる忘れられない思い出です。

カテゴリー: 新着情報   パーマリンク