バーゼル紀行5「余話」(Kako)

バーゼル旅行のハイライトはツィターオーケストラ・コンサートへの参加でした。コンサート本番については読者の皆様も美津子さんのレポートにより臨場感をもってお楽しみ頂けたかと思います。私のバーゼル紀行(1)から(4)までは、本題を外れたいわば“余禄”の様なものですが、書き漏らした些細な事柄でも、後々自ら記憶を呼び起こす助けにもなろうかと拾い集めてみる事に致します。 まず往路、オランダのスキポール空港でスイスのバーゼル行に乗り換えねばなりません。到着から乗換え便の出発まで1時間余りあるので慌てなくても大丈夫だろうと思っていましたが、ご存じ、スキポール空港の広大なこと、従って乗り継ぐ人も多く、パスポートを提示してコントロールを抜け、次に持ち物検査のゲートを通過するまでまた長蛇の列、機内への乗り込みは既に始まっている時間となってしまい、気は焦れどもどうにもなりません。漸く通り抜けバーゼル行の飛行機の待つ、忘れもしない34番ゲートへ。楽器を背負って走るなど、最近はとても無理。それでも動く歩道を足早に歩いていると、“Mrs KAZUKO ISHIHARA No.34gate へ”とアナウンスが。腕時計は出発5分前。やっと34番ゲートにたどり着いたと安堵したのも束の間、前方に駐機している飛行機に乗るのか、と直進すると、目の前のドアは閉じられている、慌てて戻り、係に訊くと、そこを曲がり、階段を降りてバスに乗るのだとか。言われた通りに進むと、成程、バスが全ての乗客を乗せて私一人を待っているではありませんか!関空からの美津子さん、成田からの私、乗り継ぎゲートに到着したら、無事に落ち合えた事とこれからの旅への期待で、二人は大喜びの“ハグ”を、と思い描いていましたのに、心の余裕はもう全くどこへやら。“I’m sorry” バスと乗客を待たせた事に対する、この最低限のマナーさえ忘れ果てて声にも出せない有様でした。あの様な時には、日本語でも良いから大きな声に出して言うべきなのに!あの事が今でも心残りで、次回からは、、、とは思うものの、もうあの様にせわしい乗り継ぎはこりごりです。 乗り物の話の序にもう一つ。帰路、バーゼル駅からチューリッヒ空港への列車、駅のホームが変更になったのを知らない私達、美津子さんが近くの人に訊いて下さらなかったなら、一列車遅れるところでした。時間を長めにみてありましたので、遅れても飛行機に乗れないことはないものの、予定の列車が向こうのホームから発車してしまったならば、さぞ焦ったことでしょう。 ライン川IMG_0340 バーゼルの紙博物館からの帰り、ライン川に架かるヴェットシュタイン橋を渡り始めると、向こう岸に沿って人らしきものがゴム風船の様な、あれはあるいはバーゼル風の浮き輪なのかしら?と思わせる物を首に括り付けて、泳ぐと言うより流されている様子。やがて橋のたもとで、這い上がって来たところを見ると、事故ではなく流れに乗ることを楽しんでいたのでしょう。浮き輪のようなのは、自分の衣服をまとめて入れる袋で、首に巻き付けて泳げば、流れに乗った上流まで戻らなくて済むので、ライン川のスイミング愛好家の間で大人気の“ヴィッケル(巻き付ける)フィッシュ”と呼ぶ優れ物なのだそうです。 IMG_0371 9月6日、リハーサルの場として使わせて頂いた豪華な老人ホームの廊下にはさまざまな展示物がありました。 IMG_0373 立体のオブジェの他に、壁に貼られた切り絵の写真、これはスイスの伝統工芸で、レース編みほどにも細かい模様が人の手で鋏を使ってで切り込んで作られます。スイスは精密機械工業も盛んな事から手先の器用さも想像できますが、この切り紙細工は実に精緻に出来た素晴らしいもので、いつか実際にその作業と作品を見たいもの、と思いました。 滞在中の夕食はいつもレラッハのレストランで。パンにソーセージやハンバーグを挟み、飲み物を添えてホテルの部屋で、という質素な食事は一日だけ。あとはイタリア・アラビア・ギリシャ、それぞれのお国料理のレストランで(ここはドイツなのに不思議にもドイツ料理のレストランが見付かりません)トミーさんと、お母さまでマネージャーのタマラ女史との4名で毎夜賑やかに楽しく頂きました。 IMG_0384 あの夜はアラビアンレストラン。客席の雰囲気、出される料理もそれらしく、私には初めてのものばかり。ゆったりと時間を掛けて美味しく頂き、外に出た時は、ちょうど9月の満月が昇り始めた頃でした。トミーさんの素晴らしくも確かな演奏の腕が、ほんの少しでも私に伝わると良いな、、、との思いもアルコールのせいでしょう、叶ったかの様な錯覚を起こさせる不思議な宵でした。あの夜を“アラビアンナイト”と名付けたのでした。 7日、コンサートの本番一部が終了し、いよいよTrioです。トミーさんと私達は、三人で“Toi,toi,toi”と言いながらハイタッチの様に手を打ち合わせてから楽屋を踏み出したのです。プログラムとトミーさんのSoloが全て終了し、向かい側の素敵なレストランに場所を移しての打ち上げパーティーで、お礼の気持ちを込めてドイツ語で短い挨拶をしました。ひと月も経ってしまった今、あれで良かったのかしらと気になった箇所を辞書で調べてみると、前置詞がin ではなく、“nach”が正しかった、とか過去分詞で言うべきところが現在形になっていた、等の間違えがはっきりし、もっと吟味したレジュメを用意すれば良かった!と、少し悔やまれましたが、どのみちきちんとしたドイツ語は話せないのですから、感謝の気持ちが伝われば良しとしよう、と開き直りました。 美津子さんと全ての行動を共にするヨーロッパ旅行は、実に20年ぶりと言えるでしょう。二人ともこの道に喜びと感謝を見出し、またお互いに励まし合いながら歩んだこの20年、バーゼルへの演奏旅行は来し方を振り返り、今後への夢を育む良い機会でもありました。この旅を心から楽しむ事が出来ましたのは、トミーさんはじめバーゼルのツィター仲間のお蔭でもあり、また気持ち良く送り出してくれた日本の皆様、全てに感謝の気持ちで満たされて居ります。 バーゼル紀行 おわり

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