セミナー報告 (2) Anna Maria Loibl さんをお訪ねする KAKO

IMG_3027.JPG-1今回の旅行での大きな目標の一つが、A.Loibl さんのお住まいを訪ねし、数年ぶりの再会を果たす事です。

2000年ドイツのWasserburg で、ある人から紹介され、その一週間後オーストリアのInnsbruck で行われた民族音楽の祭典で偶然にも隣り合わせた事が縁で、セミナーに参加するようになったのです。

2000年の10月、その日私はInnsbruck のインフォーメーションでチケットを買い、客席は2000以上ある大ホール、しかも全指定という席に腰を下ろしました。

やがて満席となり、隣にお掛けになったのがA.Loibl さんなのですから、奇跡的な偶然と言えましょう。

A.Loiblさんのご夫君は、オーストリアのツィター協会(VAMÖ)を設立するにあたり大層尽力なさった方であり、その他Wien 式とMünchen 式の二つあるツィターの調弦方法を系統立てて整理した人で、ツィター界では知らない人は無いという存在だったようです。

奥様のAnna さんは、ツィターを弾きこそなさいませんが、ご夫君と共にVAMÖの運営に長年携わって来られたのでした。F.Loibl 氏の亡き後もVAMÖの重責を担っておられましたが85歳を迎えなさった頃から、その役を辞退なさり、セミナーでもお目に掛かれなくなったのでした。今回は数年ぶりの再会です。IMG_3042.JPG-1

日本を発つ前、インターネットと地図で所番地を詳しく調べ、これで万全、と思って出掛けたのでしたが、路面電車が目的地まで行かず、大分手前で降ろされてしまい、炎暑の中、花束を抱えて歩く事20分、これは予定外でした。

集合住宅は、建物の入り口にその棟に住む人の苗字とブザーがあり、“Loibl“ の文字を見つけた時は、ホッとしたものでした。

所要時間が分からないので早めに出発した為、全く焦ることはありませんでしたが、約束の時間までにはまだ1時間近くもあります。周辺は樹々と5階建てのマンション棟ばかりでCafe‘も無く、バス停のベンチ、これが丁度木陰にあったので、そこで時間を潰したのでした。

玄関を出て迎えて下さったAnna さんは、『今日は朝から落ち着かなくて、始終外を見ながら貴女を待って居たのよ。よく訪ねてくれましたね。』 と嬉しそう。(普段あまり笑顔を見せない人なのに。)それなら約束より早くても、躊躇せずにブザーを押せば良かった!と後悔しました。

『飲み物、何を?』 と。まずお水を頂いて人心地ついてから一番のお土産のつもりのDuo-Stücke (1) を差し出したのでした。『こんなに沢山の作品が出来て、よく努力しましたね、貴女はZitherでもって日本とヨーロッパの架け橋となりましたね。』 とお褒め頂き、この上なく嬉しく思いました。

有名なアウガルテンのお皿に載った選り取り見取りのケーキ、見るからに美味しそう!(Wien のお菓子はたっぷりと大きく、美味しいのです。)コーヒーも特別にお淹れ下さり、大変な歓待をして頂いたのでした。

F.Loibl 氏との思い出の写真や有名画家による数々の細密画、装飾品、どれを取っても由緒ありそうで、感心して拝見させて頂きました。

オーストリア政府からの勲章はひときわ重々しく美しく、F.Loibl 氏が立派な業績を遺された事を異国の私でも強く感じる品物でした。また、この様に思い出の詰まったお住まいで、塵一つ無く清潔に整えられた幾つものお部屋に暮らしていらっしゃれる事は、たぶん寂しさなど微塵もなく、この上ない幸せだ、と心から思いました。

Anna さんは象さんの小物を集めていらっしゃるとか、戸棚の一隅に様々なゾウが大切に並べられてある事も、お人柄に通ずる温かさを感じました。

1月に右腕骨折で大変だったようで、まだ左手だけで何でもこなすそうなので、お持ちした花、Pfingst-Rose 日本名、芍薬のお水替えや処理がお出来になるか、後から心配になりました。

お疲れにもなるでしょうから、と、名残り惜しい気持ちを抑え、それでも一時間半も居て、痛みの無い、心楽しい日々がお過ごしになれます様に、とお別れのご挨拶を申し上げおいとましたのでした。

この様にして、大きな目標の一つが実現したのでした。  6月25日 KAKO

カテゴリー: 新着情報   パーマリンク