サロン 雑感 KAKO

IMG_3230.JPG-1玄関廻りには打ち水、ドアを開けると正面の壁には八重のクレマチスが一輪、陶の小壺に挿され、まさに咲き始めの姿は微笑みかけるが如く何気ない佇まいで、訪れる者を迎えます。 部屋に通され、中庭を眺めると、敷き詰められた煉瓦の脇から立浪草・ホトトギス・ホタルブクロ・ギボウシなどの下草が朝露に濡れて一面に清々しい緑に覆われ、その中から数本の椿の銘木がそれぞれに新芽を伸ばしています。 目を上に転ずると、樹木の枝に小鳥の餌台が置かれ、メジロやヤマガラがかわるがわる餌をついばむ姿も愛らしく、決して広くない中庭なのに見飽きる事もありません。 今日は月一度の縫物の日、お友達のお家にお邪魔しています。 厚さ10cm. もあろうかと思われる一枚板のどっしりと大きなテーブルに、縫物の材料や道具が置かれ、壁際の箪笥には明治期からの貴重な和布、縮緬、帯布などが綺麗に整理され収められています。 IMG_3232.JPG-1   目に写る物ことごとく、主の心映えも行き届き、いつもながらの心地良さ。 これこそひと様をお迎えするに相応しい“サロン” と言えるでしょう。

 

それに引き換え、4月15日の我が “音の森サロン” 春の快游会 はどうでしょう。 20名余りが集える部屋が有る訳でもなく、居間の生活雑貨を全て納戸に納め、板と踏み台で工夫して設えたベンチに腰を掛けて頂き、お昼時にはそのベンチを寄せてテーブルに早変わり、庭は至る所雑草が生い茂る、心行き届かぬ我がサロン。CIMG9389.JPG-1 CIMG9295.JPG-1

”サロン” には実際の客間を指す他に人々の社交的集りをも意味します。 フランスで18世紀に流行った文化人・画家・作家などを集めて気の利いた会話を楽しんだという貴族社会のサロンとは比べる可くもないものの、異なるジャンル、年齢にも幅が有り、それぞれに素晴らしい生き方をして居られる人々の集まりですから、その点では音の森も立派なサロンと言えるでしょう。

2002年から続くこの集りでの出逢いが、友として深い絆を結ぶこととなったり、予想もしなかった繋がりのある事が判ったり、困った事へのアドヴァイスや解決の糸口が得られたり、夢や希望を打ち明ける人、また失敗談や面白い話に大笑いしたり、と、活躍の分野や立場の異なる人々が一堂に会すると、話が新鮮に感ぜられ、いつも時の経つのを忘れそうになるのです。

年月の移り替わりに伴い、集うメンバーも少しづつ替ってきています。 今年は伊東・熱海・伊豆高原 などいつものメンバーの他、神戸近辺から三名、東京から四名もはるばる参加して下さり、三月のTomy/Mitsuko コンサートでお会いした直後にも関わらず、20名ものお客様で賑やかな集いとなりました。

CIMG9311.JPG-1 CIMG9322.JPG-1 以前は庭のシンボル、八重桜の普賢象が咲き始める4月15日を“お花見の集い”としてホームコンサートを開いて居りましたが、残念な事に寿命を迎えたのでしょう、 2015年を最後に枯れてしまいました。 綺麗に咲いてくれていた頃の写真を一枚。  うちの桜 025.jpg-1   一時は集りそのものも終わりにしようかとも思ったのですけれど、『桜は皆の胸の内に思い出として咲いているのだから、続けなくては!』 と言ってくれる友もあり、そこで去年から名称を “春の快游会” と改めて、開く事にしたのでした。 “あそぶ” といった意味で一般的にはシンニュウのが普通ですが、子供の頃、夏休みに富戸の海で友と太い丸太につかまってゆらゆらと浮かびながら、水中の鯵の群れの美しさに感激した、あの縛られない心地良さが忘れられず、水を表すサンズイのの字を当てて、“快游会” と致しました。

この後何年続けられるものか分かりませんけれど、春の快游会としても回を重ねられますよう自重して暮らそうと思います。 来年も、新しく参加して下さる方をお待ちしております。

音の森サロン 主宰 森 和子

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