蝶、ツマグロヒョウモンになって天から舞い降りた兄の事を

蝶、ツマグロヒョウモンになって天から舞い降りた兄の事をIMG_5564-1

昔むかしの事なのです。

東京・成城から伊東に越して、居間の天井近くにつった棚に、“全人”というA-5サイズ位の小さな冊子が並んでいた事を記憶しています。玉川学園の創始者、小原國芳(1887-1977)著「全人教育論」の冒頭に“教育内容には人間文化の全部を盛らなければなりませぬ。故に教育は全人教育でなければなりませぬ。全人教育とは完全人格、即ち調和のある人格の意味です“ という一文が記されています。

理想的教育への情熱に賛同した父は、成城に住んでいた頃、長男・長女を成城学園から玉川学園に編入、旧制中学部を卒業まで通わせたのでした。玉川学園の卒業生であったという経緯もあり、兄の昆虫標本が玉川学園大学のサイテックセンター(理科教育の拠点)に、「森啓爾コレクション」として収蔵されたのでした。

コレクション全体では、300個のドイツ型標本箱があり、その中から季節ごとにテーマを決めて30箱が順次展示されています。

兄はイラストレーターの仕事、特に辞書の図解の精密画等を手掛ける激務の傍ら、その生涯をかけて全国の山野を昆虫採集に駆け巡ったのでした。旅から帰れば、標本に作り上げ、記録をカードに記す作業にも、膨大な時間と労力を要したであろう事は想像に余りあるものです。image002 (1)

日本には昆虫標本を所蔵する博物館は数多く、大学の農学部や理学部でも昆虫コレクションを持っているところは有りますが、

1.日本の昆虫は分類学上25の目からなるが、蝶・甲虫など一般的なものに限らず、極微小なものは除き、広く全昆虫を網羅している。

標本は完璧に近いながら、大雪山のウスバキチョウなど、保護の為に採集が禁止されている種は一切含まれていない。

2.標本の作り方が精緻で美しいばかりでなく、全ての標本に採集地や採集年月日などのデータが書き込まれており、学術的価値がきわめて高いこと。

3.それぞれの地域で未記録であったり、今では地域から姿を消してしまった種が多数含まれていること。

4.古いものでは50年間以上,私宅に保管されていたにもかかわらず、 保存状態が極めて良いこと。

等の理由からこのコレクションは明らかに抜きん出ている、と高く評価されているのです。

コレクションの寄贈実現までには、兄の亡き後二年余りの月日が掛かりその間、採集旅行をいつも一緒にしていた兄嫁が、並々ならぬ心配りで標本の保存・管理に当たったのでした。

img008 (2)森 啓爾 (1926-2001二人の写真は1972年、甲州・櫛形山にて

 

 

最終的な落ち着き先、サイテックセンターに移されるまでに更に二年を要しました。お世話下さいました農学部の佐々木正己教授は学生時代オーケストラの一員で、“玉川の名物ピアノ教師”であった姉、森祥子(さがこ)の事はよく知って居られ、後日、分野は異なれど同僚としても親しい間柄、『あの森先生の弟さんのコレクション』と知り、世の中の狭さに驚きなさったそうです。

置き場所の問題で迷っている中、サイテックセンターが建設される事が決まり、幸いな事にコレクションの受け入れを設計段階から考慮して建てられたのでした。

博物館・学芸員の資格を取る為の授業や、農学部・生物環境インストラクター養成講座等、実物教育の場で、20年前にはまだ東京にオオキトンボが生息していたンだ!と気付き感動させるなど、“森啓爾コレクション“ が、書物からではなく、自然から学ぶ大切さを実践する上で助けとなり、今ではおおいに活用され役立っているとの事、兄も天国で喜んでいるでしょう。(全人2004年No.674 佐々木正己教授の文章参照)

歳の離れたこの兄・姉の他に、個性も分野も異なるけれど、誠実に生きてきた “立派な” 兄が私にはまだ二人健在です。一人の姉、三人の兄達の末に生まれた私は戦後の貧しい状況の中、小学生時代を過ごしました。父が板にピアノの鍵盤の図を寸分の狂いもなく、心籠めて描き作ってくれた板ピアノ、音は出ないし鍵盤もへこまず、子供の私は10分と向かって居られませんでしたが、姉兄達には恵まれて、その点実に豊かで仕合せな環境であった、と懐かしく思い返すこの頃です。

ANZ 本筋のZither からは外れた話題、お読み下さり有難うございました。               KAKO

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