“ああ楽し ツィター・Zither・チター” 本を完成させて (1)

“ああ楽し ツィター・Zither・チター” 本を完成させて (1)

ツィターを始めた切っ掛け

『どんな切っ掛けでツィターを始めたの?』とよく訊かれます。本は2012年からの事を主にして書き始めましたので、ここで少し補足させて頂きます。

山口時代(1979-1993)子供達相手のピアノ教師をしていました。

中学生になり、ブラスバンド部でフルートを吹き始め、めきめき上達した生徒が居りました。その子と野原で合わせて楽しみたい、という思いから、持ち運びの簡単な伴奏楽器を探し、巡り合ったのがツィターです。

ところが間もなく、独り暮らしの母の待つ伊東へ戻る事になり、その時点ではフルートの伴奏などとても無理、一度も合わせる事無く山口を後にしなければなりませんでした。

今から4年あまり前(2016年)山口を訪ね、山口市の中学校の音楽教師として活躍している彼女と23年ぶりに再会したのでした。

それ以後、時は既に5年も経ってしまいましたが、今年こそ合わせて楽しみたい、と、メロディー楽器とのDuo を想定して以前に作ってあった曲、“夜明けのスキャット“ と ”チロルの子守歌“ の楽譜をお正月明けに彼女に送り、夏休みに合わせましょう、という事になっているのです。

昨今のコロナ禍にあって、楽器から出る音は全て自らを楽しませるもの、となっておりましたが、他の楽器と合わせるという目標を持つと、また別の楽しみが生まれ、練習にも一段と“気” が入るものです。

今年の夏休みには無観客・私達だけでも良いから伊豆高原の野外舞台で合わせられたなら、と、昔描いた夢を漸く実現させられる事が今の大きな張り合いとなりました。

山口でのピアノ教師時代

戸棚の整理をしていて、山口時代のピアノ教室の“クリスマス・コンサート”の手作りプログラムや、子供達からの手紙が出て来ました。こんな昔の物、処分!と思いつつ、拡げて見ましたら当時の生徒達の顔が懐かしく浮かんで来て、あら、こんな事もしていたの?!と、当時のお稽古にかけた自分の情熱が今に蘇る思いで、また処分出来なくなってしまいました。IMG_5823

山口に越した翌年、早くも生徒達のクリスマス音楽会を開けるまでになっていた事にも、今更ながらびっくりしています。

1980年クリスマス音楽会のプログラムの一番目、涌井曄子作曲“こりす”という曲を弾いたのが、フルートの彼女のピアノ初お披露目曲でした。

思い返すと、お母様がこの子にピアノをと最初にお連れになった時、ピアノを弾くには身体的にまだ余りにも幼く思え、その時はお断わり申し上げたのでした。半年後にもう一度いらして、それでお引き受けしたのが彼女の音楽の道への第一歩だったのです。

 1980年代がピアノ教室としても全盛期で、生徒は常に20名以上居り私も忙しさと責任で、“うさぎの赤いメンメ” になる時が度々あった事を思い出します。。

その頃、発表会では司会も何もかも自分で進めて居り、生徒達の紹介メモも出て来ましたので、ちょっとご披露しましょうか。

絢子ちゃんは先月からピアノを始めたばかりで、ここでは一番幼いお嬢 ちゃんです。まだ片手づつですが、伴奏など付けない方が、あやこちゃんの楽しんでピアノを弾いている様子がよく伝わると思い、伴奏なしで弾いてもらいます。“こりす” “かくれんぼ” “なぜなぜ”

(この子がフルートも吹けるようになり、やがて音楽の先生に)

友紀ちゃんはメロディーに歌詞をつけるのが上手です。

“うさぎ お耳長いうさぎ お目目は赤い まあるいしっぽ はねるよ

ぴょんぴょん“ ゆきちゃんはお家でうさぎを飼っているのね。

幸恵ちゃん、今年の5月からピアノを始めましたが、ピアノに向かうのがとっても好きなようです。峠の我が家だけお母様に伴奏して頂きます。ピアノは全くお弾きにならなかったお母様ですが、楽しく合わせられそうな易しい伴奏を作り、子育ての想い出の一コマに、ちょっとだけ練習して下さい、とお願いしました。

真理子ちゃん、何事にも積極的なお嬢さんで、オーケストラの曲等も聴いて気に入ると、せんせーーーこの曲、楽譜無いんですかぁぁ?と。“せんせーーー”という声を聞くと、また無理な注文を出されるので時にはドキドキする事もありました。 紹介、こんな具合です。

 クリスマス音楽会はたいてい自宅の教室で、軌道に乗ってからは毎年12月24日、と決めて開いていました。当時のプログラムを見ますと、始めの言葉・司会・会場飾りつけ係・会場世話係・終りの言葉等、生徒達で分担し、世界の名曲から弾きたい曲を自分で選んで弾く等、ピアノのお稽古でも自主性を重んじていた事が覗えます。その他、現代日本とアメリカの作曲家の作品から、という特集をした時もありました。

モーツアルトの生誕230年に当たる1986年にはモーツアルトの曲ばかりでプログラムを組み、また、“モーツアルトが生きていた頃と現在の比較“ 例えば当時の通信の手段? 食べるもの? 白いキー・黒いキー、 その頃の日本は? モーツアルト自身が弾いた曲? とか。生徒が分担して調べて発表するなど、今でも興味の湧く題、が記されています。

 1993年3月、山口を去る直前に“勿忘草の音楽会”と題して最後の発表会を行いました。その時には、生徒もそれぞれかなり上達し、プログラムを見ますとモーツアルトのピアノ協奏曲“戴冠式”をピアノと二台のキーボードを何名かで分担して弾いたのでした。その他ソロの曲はあみだくじで順番を決めたりして、ピアノを通して生徒達と楽しく過ごした山口時代が偲べる “星のこどもたち・コンサート” のプログラムでした。IMG_5824

 本を完成させて(2)

さて、現在に戻って。この度作った本は200冊、お世話になった方、お顔の見える方、そして本に登場する方を主にしてお送りしたのでした。漏れや重複の無い様、名簿とノートへの二重チェックで発送作業を進めたのですが、迷子になったとしか考えられない例もあり、葉書・メール・電話などの一報も頂けない方には、果たして届いたのだろうか、お元気にして居られるだろうかと気になるのも事実ですけれど、信頼に足る日本郵便、こちらから一方的にお送りした本ですから、無反応も致し方無いことです。

いろいろの感想を頂いた中で、P.148 バレー鑑賞、舞踏はバレエと表示する、バレーと書くと球技のバレーボールになる、と教えて下さった方があり、自分の不明を恥じると共に、ご指摘を有難く思いました。

名手、Tomy Temerson の演奏によるCD.が付いた事で本の格も上がり、受け取った方々も大層喜んで下さった様です。

文章と写真が、ご好評頂けましたのも細心の心配りで編集に携わって下さいました槙田氏のお陰、特に写真はプロフェッショナルな修正が、好評を頂けた所以と思います。

国外ではオーストリアのZeillern -Seminar で毎年会っていた先生方や友、惠藤美津子さんと共通の友、ドイツ・オーストリア・スイス・オランダ・スコットランド・アメリカ・カナダ、となど7か国に及び、25名に発送したのでした。

日本語の本なので、ドイツ語版を出してほしい、との声もありましたが、沢山の写真が想像を大いに助け、その上旧知の仲のTomyさんのCDが付いているのですから、喜ばれたに違いないのです。

オランダのGolden 先生からは、まず打越さんの逝去を悼み、本へのお礼と賛辞が何と日本語で綴られていました。孫息子のFelix が書いた、と記してありましたが “過去様” には笑ってしまいました。 私のドイツ語も今までさぞや人々を笑わせて来た事でしょう。

 カナダのW.Frey からは、本へのお礼と共に、時も時、アメリカ大統領Joe Biden 賛歌の楽譜と演奏録音がメールに添付されて届きました。'' FOR JOE '' by Werner Frey.jpg Noten (1)

オーストリアのR.Jordan (p.172 詩・Isolde のパパ)は2020年1月にお亡くなり、と奥様から。最近は日本の抒情短詩、俳句にのめり込んでいる、と記されていました。楽譜展示室で私の展示楽譜にも気配りして下さったRoland、深い紫色を思わせる朗々とした声で詩を朗読なさるお声とお姿が忘れられません。

オーストリアのセミナーの友からは、共通の友がぽつぽつと欠けて寂しい、と。(p.5の“足長おじさん”もお亡くなりだそうで、、、。)

 オーストリアのH.Oberlechner ・Isolde Jordan (本p.120)からは息子Valentin の成長ぶりを示す写真,身長が187cmにもなって、教会でパイプオルガンを弾いている姿、(本p.18奇声を発した坊やが!)orgelnd.jpg Valentin

H.OberlechnerがZugspitzmassivの山頂に立っている写真、写したのは息子のValentin. ロープウエイも他の人の姿も無いし、いくつかある峰の頂上へ歩いて登ったの?mensch_und_berg.jpg Oberlechner

You TubeでH.Oberlechner のJazz Exersise 他13曲の録音。

これはもう次元の違う凄い演奏!が送られて来ました。

Harald Oberlechner-Zither solo (Ensemble Psalteria)
Happy Xmas 1: Maria durch ein Dornwald ging
Happy Xmas 2: Weinnacht.Still!
Happy Xmas 3: Santa Claus Is Coming To Town

 

 アメリカのJohn Snyder からは時を同じくして出版されたツィター伴奏絃の弾き方についての理論書が届きましたが、解説は英語と図解、何やら難しくて、私には歯が立たないし、既に遅し。自分の流儀を理論づけて解説すると、この本の様になる、という事かと受け取りました。IMG_5801 (1)

まだまだヨーロッパ・アメリカの友から手紙やメールが届くでしょう。

結び

昨年からのコロナ禍で、ヨーロッパとの往来は遮断され、今後も先行きは全く不明です。惠藤美津子さんと二人してドイツのミュンヘンに初めて行ったのが1995年、T.Temerson とのCDの打ち合わせにケルンへ行ったのが2019年で、その後新型コロナウイルスが蔓延し、自由に渡欧出来なくなったのですから私のツィター活動の期間が終るまで、ヨーロッパに自由に行く事が出来た訳です。その点でも何と恵まれていたことでしょう。これも運命・巡り合わせ、目にも見えない神の思し召しかと、全てに感謝するのみです。

本は、既に過ぎ去った事を整理し、自分の想い出として作ったもの。

今、2021年はコロナ禍も二年目に入り、生活形態・考え方・日常が90度も変化してしまったのですから、過去の道は今更振り返っても見えません、無いも同然、致し方のない事。その現実を確と認め変化を受け入れ、今からの時間を大切に新に生きる覚悟で居らねば、と、自分を自ら鼓舞しています。

ヨーロッパでは14C.にペストが流行し、その後イタリアでルネッサンスの花が咲き始めました。コロナの後にはどんな花が咲くのでしょうか?せめてその予兆だけでも、この目で見たいものと切に思います。

         2021年1月 KAKO

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