猫のシュヴァが5月3日にとうとう昇天しました。普段可愛がって下さった、近所の洋子さんが毎日見舞いに来て下さり、声を聞くと、ヨタヨタしながらも近寄って来たのでした。野生も強かったけれど、恩を知る賢い可愛いネコでした。「シュヴァ、シュヴァおいで」、と、毛の数程も呼び、話し掛けた15年、“もうシュヴァは居ない” と思うと泪があふれますが、それは “甘い悲しみ” なんだなあ、とも思うのです。
猫は背で身を以て示す老いるとは 香箱座りの沈思黙考
老い猫にあれこれそれと皿並べ 進まぬ食欲やがて吾にも
”ペロ“という単位作りて水を飲む 猫を看守る桜散る頃
ネコ肌に温めしミルク口元へ ようよう8ペロ吾を慰む
キャッツアイ毛の一叢が微かに動く まだ生きていると安堵する日々
ハッとして駆けつけたれば微かなる リズムを刻む毛に安堵する
そよ風に輝る葉眩しい石畳 抱きて歩みし猫の軽さよ
猫逝きしこれにて泪拭えよと ハンカチの樹の苞のひらひら
猫逝きて天に昇るを見送るか ハンカチの樹の苞のひらひら
キャッツアイ自由と身分を保証され 仕合せなりきと言い遺しけり
キャッツアイ輝く若葉酣に 覚悟はすれど独りポツンと
どちらが良いのかしら? 意味の重複?と、短歌入門の極初期の疑問点が湧き始めたこの頃ですが、自分で学び、解決するしか手が無く、臆せず発表させて頂きます。年月重ねて少しは学んだ頃に、恥ずかしくて、、、と思える様になれれば、それも良し、です。
令和 3年 五月 歌人 野の花