“Zither gathering” のお知らせがTomy Temerson から届いた昨秋、これはZither Seminar を知り尽くしているTomy が満を持して自ら主宰するSeminar の一種かと思い、せめて “おめでとう” を言うだけにでも馳せ参じたい思い一杯だったのですが、その頃は事情が許さず、その旨伝えてありました。
年も改まり、二月半ばに夫を天国へ送り出して間も無い頃、これからは時間を自分の為だけに使える事に気づきました。3月26日から始まるその催しに参加する気はもともと無く、お祝いを伝えること、オープニングコンサートを聴くこと、そして今編纂している本に付けるCDについてTomyと打ち合わせること、この三つが主な目的で、ケルンにはたった三泊でのトンボ帰りで行く事にしたのでした。
『どの便で着くか?』との問い合わせには、一応書き記して伝えたものの、忙しいTomyには気の毒なので、「宿泊兼セミナーハウスまでタクシーで行くから心配ご無用。」と知らせておきました。その為Tomyと Anne(シカゴ・ツィタークラブ代表)が空港ゲートで手を振って出迎えてくれる姿を見つけた時は、びっくりすると共に嬉しさがこみ上げて来ました。
到着の25日夜はアメリカからの10名とでレストランへ行き夕食の後、Eiche と Kastanie の巨木が立つ中庭に面した心地良い部屋でゆっくり休んだのでした。
ケルンは第二次世界大戦で酷い爆撃を受けている筈、あの中庭の木々は無事だったからこうして今あるのかと思い、翌日Rezeption でその巨木の事を訊ねてみましたら、『このあたりは爆撃を免れたようだが、戦後すぐ位に植えられたものらしく、そう古い木ではないと思う。』との答えでした。苗木は移植されるまでには数年経ているでしょう、そうすると私と同じ位の歳になりますが、その立派な姿にチッポケな私は圧倒される思いが致しました。
ANZ ホームページに載せた文章を纏めて本にしたら良いのに、というお声を頂き、約二年前からその本の編纂に取り掛かるという、それまで思っても見ない展開となったのでした。日本のメロディー編曲作品をTomy Temerson の演奏でCD に録音し、それが付けられれば、本も完璧な物になると考えて、彼に依頼しましたところ、快諾を頂いていたものです。
収録予定の曲順にTomy に弾いてもらい、テンポ、曲想、繰り返し等を綿密に検討しましたので、これはお互いにとっての意義深いレッスンの様でもありました。“花吹雪”の繰り返し部分を花嵐の様に激しくする為、その6小節だけは、帰ってから作る事が宿題となったのでした。
夜はオープニングコンサート
Tomy の得意とする技巧を要する速い曲、G.Krienの “In der Arena” 他3曲、Kako Ishihara の日本のメロディー3曲、そして最後はTomy の絶品Maria Elena 等で名演奏を堪能したのでした。
27日はスイスからの人も加わって、一日中アンサンブルの練習です。皆さん予め予習をして来ての参加ですから、曲はじきに形を成していましたが、弾かずに後ろで見学の私は少し退屈でもありました。
夕食後は、Tomy 所有の15台ものAdolf Meinel (1890年代から三代に亘るMeinel) が展示され、それをTomy が解説を交えて弾き比べる、という催しがあり、Etikett (ラベル) だけでも数種類あり興味深いものではありましたが、何しろTomy が弾けば、どんなZither でも素晴らしく鳴り響くのですから、、、、、。
28日 帰る日の朝
Gathering に参加する全員に私の編曲楽譜集をプレゼントしようと思い,昨秋Tomy の元に送ってあったものをお別れの朝、合奏練習を始める前にTomy から説明と共に参加者に渡されたのでした。
後日ドイツから25名が参加予定で、この28日はアメリカとスイスからの11名だけでしたが、皆さんから拍手を頂き、もうこれだけで長年に亘り音符 “いじくり” に苦心した事が報われた気がしたものでした。
そのようにして目的を全て果たし、ケルンを発つ前の数時間、大聖堂の塔に登ってみる事にしました。
階段は533あるそうですが、私にはその段数よりも螺旋階段を登ると目が回る事の方がよほど心配だったのです。バレリーナやフィギュアスケートの人が目を回さないには工夫がある筈です。
一点を見て5段登り、一泊休む間に次の視点を定める、という6拍子、腕も手摺をしっかり掴み、足だけには任さない、この方式で目が回る事も無く、533段が何の苦も無く登り降り出来、大変満たされた思いがしました。
塔の頂上からの眺めは、ケルンの街中を悠々と流れるライン川、そこに架かるHohenzolern 橋、中世期にはドイツ最大の都市として栄えた様子の伺える街並みが遥か下の方に見えるのでした。
飛行機はケルン・フランクフルト間の様な近距離は、鉄道と提携し、中央駅からフランクフルトまでを列車で行くという、とてもドイツらしい、理にかなった方式となっていました。
飛行機が羽田に着陸態勢に入った頃、緊張していた気がほぐれたのと、いつもなら『お帰りなさい。』
と言って迎えてくれた夫がもう居ないと思うと、眼鏡の奥が湿ってくるのでした。
今日は、49日も過ぎたところで、ANZ Zi. Friends の皆様から美しく咲いた花、蕾も沢山の立派な胡蝶蘭が届き、色がまた綺麗なピンクなので、とっても慰められ、好きだった囲碁の碁盤の上に載った仏様に大きな声で話し掛け、飾ったのでした。
次の年号、令和を夫と共に生きる事は出来ませんでしたが、私にも希望が湧いて来るよう、励ましの胡蝶蘭の様に感じました。
皆様への心からのお礼の気持を、ここに記させて頂きます。お心遣い、どうも有難うございます。 KAKO