この夏考えた事

乗鞍高原でエルガリ演奏をして

東京オリンピック閉会式をTVで見て

ウィーンフィルとベルリンフィルによる

“夏の夜の野外コンサート”の録画をTVで観て

東京オリンピックも8月8日に兎に角無事に幕を降ろしました。金メダルを期待されながらも思いがけない敗退、感動・歓喜、様々な思いを残して。24日からは更に感動を呼ぶパラリンピックが始まります。オリンピックの開会式当日、7月23日と翌24日の二日に亘り乗鞍高原では夏山を楽しみに来る人達に、アルプス音楽で気分を盛り上げて貰おう、という催しがあり、参加しました。アルプホルンのグループとエルガリ奏者一名は、緊急事態宣言の所為で不参加、たった4名での演奏でした。伊東から乗鞍高原までは約300キロ、新東名で新清水から中部横断自動車道を中央道の双葉IC.へ、松本で中央道を降り左折、158号線で新島々から乗鞍へ向かうというルートで、朝5時半に出発。中部横断自動車道、南アルプス市を走り抜ける頃、周囲は桃畑、紅く色づいた桃の実が点々と見え隠れし、甘い香りが漂う中の走行はとりわけ印象深いものでした。細く長いトンネルを幾つも抜けて高度を上げ、目的地が近くなった頃、ペンションのチェックイン時間に合わせての時間調整に寄った道の駅、“風穴の里”は、周囲の山々が緑一色で、別荘等の屋根がポツンポツンと見える伊豆の山々とは異なる、自然そのままの姿が何とも美しく見えた事も印象 に残っています。

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道の駅のパラソルの下で爽やかな風に吹かれて、信州人の気質や美味しいべ物等に思いを巡らせながら一時間余りをのんびりと過ごしたのでした。”風穴“については結局何も知らないままに目的地へ。距離と年齢を考え私一人は前泊、そのペンションは、乗鞍岳(3,026m)を遥か遠くに望める標高1500m辺りにありました。

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翌朝、朝食を済ませた頃、聞き覚えのある車の音、深夜に東京を出発した仲間が到着したのでした。ペンションから車で更に10分程登った所に、乗鞍高原観光センターがあり、登山客はここから発着するバスで、目的に合った場所を目指すのです。この駐車場が私達の演奏舞台。白い雲が時々流れ来る青空の下、白樺の木陰では、空気も爽やかでさほど暑さは感じません。

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午前・午後それぞれ3回づつ20分程度の演奏ですが、エルガリ歴、場数も浅い私は、度々楽器のトラブルに見舞われたり、出だしで乗り遅れたりで、迷惑を掛けてしまいました。後から思い返すとまた冷や汗が。慣れていない遠いボタンを押さえる時、無意識の内に力が入るのか、ボタンは戻っているものの、音が出っ放しになる、こうなったら、一緒に演奏は出来ません。その曲が終えた所で先生が私の“AKKOちゃん”を引き取り木陰で少々手荒にジャカジャカ音を鳴らし、それで直ぐに治るのでした。

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午後から場所をイガ谷に移してのステージでまた同じことが起き、自分で治せなくては困ると思い、「どうやって?」とお聞きすると、『お仕置きしたの』と。お仕置きされるべきはこの私なのに、可哀想なAKKOちゃん。リードの返りが悪くなってどれかが引っ掛かる、それで音が出っ放しになるので、蛇腹とボタンも幾つか一緒にジャカジャカ音を出せば、空気の圧力で直るらしい、と納得したのでした。

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このトラブルを起こさない様に気を付ける事が一番大事ではありますが、もし起きてしまったなら、今後は自分で治す事が出来るでしょう。もう一つのトラブルは、出だしの問題。4分の3拍子・アウフタクトの曲で、1・2・ と入るのは、あまりに急すぎて、出られない、せめてその前の小節から極小さな合図で良いから刻んで欲しい、4分の4拍子・アウフタクトなら、その小節の頭から、と思うけれど、それも1・は無しで、2・3・ で始める。前の刻みがあって初めて曲の速さが指示されるのだから、前の一小節あるいは始める小節の一拍目は必要と主張する私。意見が合いません。

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ヤナギラン

オーケストラの場合の指揮でも、たった一振りだけでどの曲も始められる訳ではない、曲によっては勿論一振りで始める場合も有りますけど、12曲もあって、次々に演奏する場合、テンポもまちまちなのですからそれぞれの曲に相応しいテンポが身に沁み付く程に練習・打ち合わせが出来ているなら、棒一振りだけで始められるでしょう。どこで切るか、蛇腹のテクニックを使う箇所、アクセント、スラーとスタッカートといった曲想を徹底させる上で大切な約束もバラバラであった事が、本番を経て初めて解かった位ですから、なおの事念を入れた出だしが必要だと思うのです。

イガ谷の池、乗鞍は雲に隠れて IMG_6247-8

息を合わせるにはどうするべきか、教育音楽専攻だった私はこの基本を叩き込まれていますのに、既にこれは通用しない古いものとなってしまったのか!だとすると、もうこの世からおさらばしたくなる程のショックです。

話替わって、常日頃TVを見ていての言葉遣い、“全然”の後には否定語が来ると思っているのに”全然素晴らしい“等と言う、”可能性“もすっかり堕し、全ての悪しき事にも可能性の語を充てる世の中!危険性・リスク・恐れ、と、いくらも言い換える言葉があるのに。この現実を許容出来ない、という事は既にこの世から外れてしまっているのでしょう。

東京オリンピックも招致が決まった8年前には、コロナ禍で一年延期、無観客開催を誰が予想したでしょうか、多くの日本人が招致を喜んだと思います。閉会式の様子をTVで見ていて、このコロナ禍の中で、無観客であっても兎に角開催し、無事に終えられた事を、良かったと思いました。メイン会場である国立競技場の座席、4~5色がランダムに配されています。それが無観客である事を視覚的に紛らせてくれていましたし、閉会式の演出も秒刻みであった事でしょう、誰が、どの様に準備・演出するのか皆目見当も付きませんけれど、大したものだと感心して観たものでした。オリンピックの間中、音楽、殊にクラシック音楽の演奏とスポーツの共通点、相違点、と言った事を思い続けました。毎日の努力や練習の積み重ねが大切な事は、共通点でありますが、スポーツは結果一つに懸かっています。勝ちか負けか、他人よりも速く、高く、長く、美しくなければなりません。その意味で、厳しい世界です。その点音楽演奏は、あれも良し、これも良しと、芸術性によって幅と深みが認められます。楽器演奏は、楽器それぞれの音色を楽しみながらの練習ですから、この点スポーツの肉体的にも厳しく苦しい練習とは多いに異なるでしょう。

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2024年にはパリで夏のオリンピックが開かれるそうで、有名な公園・エッフェル塔や様々な建物も会場として使われる予定とか、この世に未練が薄くなった、と言いながらもパリオリンピックをいつの間にか楽しみにしている自分に気付きます。

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閉会式の済んだすぐその後の番組“クラシック音楽館”で、ウィーンフィルによる“シェーンブルン宮殿、夏の夜の野外コンサート“と、ベルリンフィルによる“ヴァルトビューネコンサート”(森の舞台のコンサート)の二つを観る事が出来ました。ウィーンフィルのニューイヤーコンサート以来の、とても楽しめるものでした。

シェーンブルン宮殿の正面にオーケストラピッドを設け、丘の上のグロリエッテに背を向けて客席が設えられている、訪れた事のある身には、自分をそこに置いて聴いている気分になれる、実に気分の良い夢の様なコンサートでした。

指揮、ダニエル・ハーディング、ピアノにイゴール・レヴィットを迎えて、ラフマニノフ作、パガニーニの主題による狂詩曲、エルガーの“愛の挨拶”、ホルストの“木星” アンコールに応えてJ.シュトラウスの“ウィーンかたぎ”というプログラム。

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ドイツの森の野外舞台のコンサートはウェイン・マーシャル指揮、パーカッショニストのマルティン・グルービンガーをソリストに迎えての打楽器大活躍の曲が素晴らしく、また二曲目はガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーを指揮者W.マ-シャル自身が軽妙にピアノを弾きながら。最後は、P.リンケの“ベルリンの風”で、聴衆も拍手で参加しての大満足を導いて居りました。

両コンサート共に夏の夜の野外コンサートに相応しい選曲で、再放送を切に期待するものです。この二つのコンサートこそ、スポーツと音楽を並べて考えるに相応しいもの、と感激して聴いたのでした。

コロナが鎮まり、自由に渡欧出来る様になりましたら、ベルリンのヴァルトビューネコンサートには是非とも行ってみたい、と既に思い始めているのですから、私は自分で自分が信じらない思いが致します。

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オリンピックの競技と閉会式を見て、その次にこの、夏の夜のコンサートを聴き、スポーツと音楽から得た私の感動を言葉にすると、

生きて来た喜び 生きている喜び 生きてゆく喜び というもので、                どうやらスポーツと音楽の両方からエネルギーが注がれて、この世にまた未練が湧いて来た様でもあり、8月8日は感動の夜でした。

       2021年8月10日 KAKO

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