セミナー報告 まとめ (再確認の旅)

この報告書は、20年余りに亘る私のツィターの道のりを、今年のセミナー参加を通して辿る形となりました。

かなりの歳になってから始めたツィター、何処に的を絞って進むのかは暫く道を歩んでからでないと見えて来ないものでしょう。これは何事にも通ずる事ですが、私の場合、ツィターの故郷で弾き継がれて来た曲、本場のツィター曲作曲家の手になるものを弾けるように、と追いかけるより、自分が幼い頃から耳にし、また歌った日本のメロディーを、自分で弾くために編曲する方が向いているとの思いに至り、2000年頃からその道を歩み始めたのでした。

“一流”と言われる人は、テクニックを身に着ける努力は勿論のこと、そういったものの上に独創性・独自性を必ず色濃く持っているものです。今年のセミナー参加でもそれを強く感じたのでした。私など、一流には足元にも及ばないとは承知しておりますが、自分が歩んだ、そしてまだこれからも歩み続けようとしている道が間違ってはいなかった、と再確認の思いを強くした旅でした。

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Volksmusik-Abend Über dAlma を弾く Elisabeth

 

 

 

 

 

VAMÖ セミナーは子供の為のクラスもあり、趣味で続けている人、セミナーから帰ればお弟子さんを指導する立場の人、グループで合奏を楽しんでいる人など、様々な参加者で成り立っていますが,私が参加し始めた頃より、レヴェルは確実に高くなっているように感じます。ツィターで言えば、伴奏絃がかなり自由に弾きこなせる人ばかりですし、20年、25年、と、飽きもせず参加する人も多いのです。

年一度、しかもたった5日間ですから、仲間に会える事を楽しみに、またセミナーで教わった事を持ち帰って指導の材料としたり、翌年までの努力目標に据えて精進するのでしょう。

『どこでツィター習ったの?先生は?』とよく訊かれますが、私は「VAMÖ セミナーよ。」と、いつも躊躇せずに答えます。

レヴェルが上がっている一方で、自分の成長がもうとっくに止まってしまっており、取り残されたという感を今年は身に染みて思い知らされました。 Raffele のクラスにしても、あの速さに付いて行けないのですもの。歳を重ねた事により、身体的能力も頭脳の衰えも認めざるを得ないと思いました。

2002年から同じセミナーに参加する事により、はじめは自分が弾く為にしていた日本のメロディーの編曲が、ヨーロッパに、そしてアメリカ・カナダに紹介されるという “音楽大使” 的な役割を帯びる事となりましたが、これも不思議なご縁により取り結ばれた事ばかり。偶然の出逢いであればなおのこと、それを大切にしなくてはなりません。

先の記事 報告(2)の “おまけ ウィーンの夜” の中に、ホワイトアスパラガスの思い出を書きましたが、その中の、H.ハインケルとのご縁は、元々は惠藤美津子さんが、2005年にスイス・ドルナッハで、T.テマーソンのセミナーに参加なさった折り、日本の曲に関心を示した彼女に私を紹介し、その後こちらから楽譜をお送りした、というのが始まりです。

ご縁は放っておいては途切れてしまいます。

H.Schller , H.Haslinger, A.Loibl, A.Sageder (2006年からセミナーでの楽譜展示を勧めて下さった、当時のVAMÖ 会長) これらの方々との出逢いは今から思うと誠に奇遇だったのです。

“縁”は、利を求めずに育むもの、と強く思います。

 

IMG_3108.JPG-12006年当時VAMÖ会長だったA.Sageder 氏との再会

ANZ の、またツィターを始めて居られる若い方々は、ご自分のツィターの力量、言葉の問題、時間的経済的余裕などから、外国でのセミナー参加に、つい躊躇する気持ちが勝り、諦めてしまう方もあるでしょう。思い続ければ、そして目標に向かって努力し続ければ、戸は開かれるものです。外へ出てみるとツィターの世界の現状と方向、そして何より自分の事が見えて来るものです。私のツィター人生の中で、編曲とその展示は大きな柱でありました。そして、その紹介にしても、続ける事により、日本とヨーロッパ間の道筋とまでは行かずとも、“破線”位は付けられたかと思います。今は、後に続く人が出る事を切に祈って居ります。

セミナー卒業にあたり、報告文は長くなりましたが最後までお付き合い下さいまして、感謝申し上げます。有難うございました。

2017年7月13日 KAKO

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