山頂駅には Elisabethkirche が(前項のつづき)(KAko)

サラマンダー号の終点は標高1800m地点、降りると時折り深い霧が視界を遮り、
外は薄手のセーターとジャンパーでは身体に沁みとおる寒さ、5℃位でしょうか。

凶刃に倒れた皇妃エリーザベスを追悼する為に1901年に献堂された石造りの立派な教
会堂が100m前方に建ち、その向こう側はハンググライダーで飛び立てそうな急斜面となっています。
この山はヨーロッパアルプスの最東端に位置する為、視界の良い時にはウィーンからハンガリー平野までも見渡せるそうですが、
この日はあいにく霧が去っても曇り空で、ごく近い下界しか見えませんでした。そのかわり、足元のお花畑には霧で潤った草花が美しく咲き、つい足を止めてカメラを向けてしまうのでした。
登山鉄道の他にハイキングコースも整備され、お年寄り・観光客は登山電車で、山を本当に愛する人は歩いて登るといった具合で、特にウィーン近辺の人々から愛されているのが、このシュネーベルクなのです。
深い霧に包まれると、一人取り残されて方角も判らなくなる程。一時間半後の下りの列車を駅で待つのは如何にも退屈ですし寒さも堪えます。何処か暖かい所に避難しなければ、と地図表示版にある山小屋を目指す事にしました。
15分程歩き、人々の笑い声が響き談笑する温かな部屋に入った時は心からホッとし
たものでした。
一部屋は先客で一杯なので、私一人別室で温か〜いコーヒーを飲んでいると山小屋の女主人が、『次のSalamander で下るつもりでしょ?それは出ないのよ』と。
乗客数が余りにも少ない場合は運休だそうで、多分私一人だったのでしょう。
往路に帰路の時刻も伝えて切符を買う方式から判るようでした。


さあ、ここで更に二時間余り一人ぽつねんとこの部屋で過ごすなんて、、耐えられるかしら?
賑やかな人々に「お仲間に入れて頂きたいのですけど」とお願いする事にしました。
快く聞き入れ椅子を勧めてくれたのは、私とも歳の頃が同じ位のウィーンからのグ
ループでした。
やがてお昼時となり、それぞれに注文したものを摂りながら、片言でも何とか通じ合い、退屈せずに三時間近く過ごせたのでした。彼女達は更に二時間後のSalamander で下山するそうで、私の乗った車両には他に二人しか居ませんでした。
Schneeberg Laendler を書いたFranz Brandlhofer は、この山へ登って美しく広がる景色を眺めたことがあるのか、遠くから眺めてSchneebergへの想いを曲に込めたのかはたまたZither を持って登り、山頂で弾いたりしてこの曲が出来たのか、あるいはただ単に“雪の積もった山”という意味で題を付けたものか、今では知る由も無いのですけれど、現実には“ウィーン・故郷の山”として”Schneeberg“ という名を冠した山があり、人々に愛されている事を実際に登って知ってしまった私は、作曲者はこの山への想いを曲にしたもの
と信じたい気持で一杯です。
この翌日からZeillern-Seminar が始まったのですが、その内容、特に
Harald Oberlechner の個人レッスンについてなどは7月6日の白鹿酒ミュージアムの集まりでお話しさせて頂く心算です。

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