Franz Brandlhofer の楽譜(Kako)

出逢い Zithertag in Laakirchen

既に一月余り経ってしまいましたが、次第に解ってきた事がありますので皆様にもお伝え致しましょう。

一日を通して8つの出し物があり、丁度お昼時に出演したツィター・グループ“Zitherverein Edelweiss Salzburg” の演奏はこの楽器の持つ音色に相応しい響きと優しさに溢れ、私の心にひときわ相呼応するものがありました。

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プログラムといえば、大まかに8つの出し物について印刷されているのみで、曲目については一切ありませんでしたので、演奏終了後そのリーダーに尋ねましたところ、『主にBrandlhofer の曲を演奏したが、楽譜ならそこに展示してあるからどうぞ』との事。成程、ロビーにはFranz Brandlhoher の楽譜ばかり並べられている一角があり “Freiwillig” と表示されています。

この表示はコンサートなどでもよくあることで、自由意思による寄附を募るものです。今回のコンサートも同様、出入口の扉前にお皿か箱の様な物を持った人が立ち、聴き手はそこに感謝の気持ちを込めて、なにがしかのお金を入れるのです。

一つの出し物が終え、人々が出入りする度にお皿には二つ折りにされた紙幣(大抵10ユーロ紙幣)が山を作ります。

話を楽譜に戻しましょう。

Franz Brandlhofer?はて、有名なRichard Gruenwald の娘、Lili と結婚したミュンヘンの人は“ブランドルマイヤー”(Brandlmeier)、同じ“ブランドル”でも“ホーファー”は今まで知らなかった作曲家です。

展示されている楽譜は1950年頃からのものかと思われる実に質素な紙質で、現在では入手困難に違いないものばかりですのに、それを自由に、、、とは。 私は大喜びで、まず寄附をし、10部以上の楽譜を頂いたのでした。

演奏したグループのリーダーと楽譜のブランドルホーファーとの関係も知らないままに、帰ってから問い合わせる手掛かりに、と写真を写させて頂き後日メールを送信したのでしたが、お返事は未だ、、、。ところが有難い事に、別のルートからBrandlhofer の事が少しだけ判りました。

それは、 Franz Brandlfofer : ( 31.1.1909 – 13.1.1982 )  ウィーンに生まれ、後にザルツブルク・モーツアルテウム音楽院のツィーター科教授、ツィタークラブを主宰、これは娘で作曲家のElfriede Jischa と、同孫娘Brigitte Jischaに現在も引き継がれている。 というものでした。

この程度の事でさえ、日本に居て調べるのは容易ではない不自由さを常々感じますが、彼が生きた時代は、オ-ストリア・ドイツの多くのツィター・ヴィルティオーゾと重なるものであります。

当時はヨーロッパも日本と同様に貧しい時代でしたからこそ人々は楽しみと安らぎを音楽に求めたのでしょう。ことに民族楽器であるツイターは身近にあっただけに、ツィター界がどれ程華やかだったことかと、その曲を爪弾いて思い描くばかりです。

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写させて頂いた写真の女性は、孫娘、Brigitte Jischa Brandlhofer であることも判りましたし、私の手にしているCD.はこのグループの演奏を収めたもので、実に自信に溢れ、確かな演奏をしています。

この手掛かりを得た今、ブランドルホーファーについての関心が更に深まり、もう一度メールでお訊ねしようと思っているところです。

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