いよいよヒュッテの前庭で演奏する朝を迎えました。
コロナ対策で、四人部屋に一人で休んだ夜明け、カーテンを開けると見事な暁光に、晴天を約束された気になったものでしたが、朝食の頃になると、霧や雲が刻々と山を覆い、暫く経つとまた晴れる、山の天気の激しい変化にはビックリ。
霧や雲の様子が刻刻と変わりゆく
5回予定されているステージの1回目は9時45分から。
広い草原にはキスゲや赤つめ草、真っ白でエーデルヴァイスの仲間のヤマハハコなど、様々な花が色濃く咲き群れ、懐かしいオーストリア・ツァイレルンに似た野原。
ここでの練習はOK、との事で、遠慮しつつも音を出していると、『これは何という楽器ですか?』と若い女性が話し掛けて来ました。
「スイスの民族楽器で、“エルガリ”と言って、、、、。」と、同一ボタンでも蛇腹の押し引きによって異なる音が出る事や、譜面についても説明すると、彼女は興味深そうになおも質問してきます。子供の頃アコーディオンも弾いた事があるし、今はピアノも、と、とても音楽好きな様子。
30分後に始める一回目の演奏を待たず山を下りなければならない、という彼女の為に、“エーデルヴァイス”を弾いて聴いてもらったのでした。
この曲だけは、トラブルのある6番ボタンを使わずに伴奏を入れて弾けるので、「どんな音がするのか試しに、、、。」と言って。
この出逢いを殊の外喜んだ彼女は感激の余り、コロナウイルスの事などすっかり忘れて握手の手を差し伸べます。私も嬉しくて、しっかりと手を握ったものでした。
2300mという高所、横手山山頂でも一通りのコロナ対策は取られており、人々も私達もマスクをつけ、距離を取っての演奏です。でも心動かされた時など、どうしても自然に手を握り合う場面も生まれます。本来それは自然で美しいものですのに、これから先、人と人の関わり方はどの様に変って行くのでしょうか?
4人のメンバーをここで紹介しましょう。
黒一点は鍵盤アコーディオンの先生 ・ アマチュア・ヴェテランの鍵盤アコーディオン弾き ・ 3人目は、今回はエルガリとボタン・アコーディオンを弾き分ける私の先生。そしてエルガリ初心者の私の4名。
第一回目のステージ
霧が薄くたなびいて涼しく、演奏には有難いお天気、全員での演奏曲、
まずは *雪のワルツ から。
この曲はツィターでも好んで弾かれるもの。
次いで *De Hobby-Senn (何と訳す?)
3曲目 *エーデルヴァイス
これはツィター用に私が編曲したものを応用
4・5・6は二台のアコーディオンとボタン・アコーディオンあるいはエルガリ。
1ステージ約30分の演奏途中で霧が俄かに濃くなり、やがて霧雨が。私達4名おお急ぎで楽器・譜面台を撤収。建物内に避難して天候回復を待つ事20分。やがて霧雨も止み、薄く太陽光が。楽器・譜面台・椅子を再度セッティングして、続きを演奏。
全員での演奏曲目は他に
*Chumm mit uf d’Bärge ue (山へ登ろう)
*Wir fahren mit der SBB (スイス鉄道で行こうよ)
*Das Kiufsteiner Lied (クフシュタインの歌)
(天に召された打越さんに、以前ツィター用に編曲して差し上げ、次回のmeeting でツィター・エルガリそれぞれに弾いて楽しむ事になっていたのですが、心残りです。)
*Wohnwagen-Plausch ( 楽しいキャンピングカー)
*Tiroler Holzhacker Buaben (チロルの木こりのマーチ)
(これもツィターでよく演奏される曲)
鍵盤アコーディオンとボタン式アコーディオンあるいはエルガリの3台で
*Am Markt Samstag (土曜の市場で)
*Zillertaller Hochzeit (ツィラー谷での結婚式)
鍵盤式・ボタン式のアコーディオン二台で演奏された曲
*Retour des Hirondelles (つばめ)を聴いて、
燕が巣の雛たちの為に餌を採りに飛び立って行く、餌を咥えて勇んで巣に戻って来る様、宙返りを彷彿とさせるとてもテンポの速い曲。
鍵盤アコーディオンはその速いパッセージを弾く為に、指でキーを打つのではなく、グリッと手全体を捻って音を出す、速いから拍子の区切りを合わせるには、時間的余裕があり、ボタン式アコーディオンとも拍子の帳尻はピタッと合うのだけれど、中の細かい音は団子状になり、独立した一音づつとしては聴き分け難い。
ボタン式アコーディオンでは早いパッセージも細かく弾くから、一音一音が等しく配分され、ちゃんと聴き取れる。この二台が合奏すると、ほんの少しのずれを感じてしまう。
ツィター演奏でも、ヨーロッパのホテルなどで演奏している人が、速く弾き飛ばす場合があり、それと同じ事ではないのか、と思うのだけれど、アコーディオンにはそれ特有のテクニックがある、との“黒一点”のお話に、何も知らない私の所見は間違っているのかも知れない。速い曲でも音が独立して鮮明に聴き分けられる方が、自分の好みには断然適っている、と感じた出来事でした。あのグリッと捻る奏法をエルガリの上でしたならば、忽ち楽器がトラブルを起こすでしょう。
記念に一人だけで写してもらいました
3ステージ目のある時、雲間から太陽光線が射し、“天使の梯子”が五本も降りて来た瞬間がありました。今日は旧盆の入りの日でもあるし、迎え火もお墓参りもそっちのけでここへ来てしまった私、天国の家族が導かれて梯子を降りて来たかのように思え、会話するような気分で演奏したのでした。
お昼頃、4ステージ目に空が急に掻き曇り、大粒の雨が降り出しました。野外で思いおもいに過ごしていた登山者や私達、皆建物に避難。やがて雨足は弱まったものの、演奏は無理。天候回復にはまだ時間を要するでしょう。そこで、私だけ終了とさせて貰い、仲間に見送られて長野県側へ出発。
今回貴重な体験をさせて頂けて、これを確かなものとしなくてはなりません。
レパートリーは増やさず同じ曲で充分。更に磨きを掛けて、自信を持って弾けるようにして、また来年もここ横手山に来たいもの、と思いました。
一年後も長い道中のこの暑さに耐えられるか自信は無いけれど、ルートも二度目となると、ずっと気が楽、演奏とここまでの運転に対して ”冒険“ 等という表現は、もうしなくて大丈夫でしょう。
残ったた三人は、天気の安定を待ち、8曲程演奏して締めくくりとし、聴き手も自分たちも双方満足の後、山を下ったそうです。
よかった良かった!