横手山冒険記 (3/3)

午後1時過ぎ、まだ霧雨けぶる中、皆に見送られてヒュッテを後にし、渋峠を長野県側に下りました。

伊豆の修善寺から西海岸への様な急勾配、濃い霧の中でも岳樺の白い幹はくっきりと浮かび出て、カーヴを描く道路を下る事30分、この信州側は緑の色も濃く、美しいドライヴコースでした。往路の群馬県側、人間の無力さを見せ付けられるような、荒涼とした風景も印象深く、今回は周遊コースをとった事が運転を更に楽しいものにしたようです。視界が急に開けて遠くまで望める橋を越えると、やがてなだらかな中野市に入り、道筋には花壇が方々に設えられ、その町に住む人々の心のゆとりを感ずるのでした。

この度の遠出、安全を期して何処かでもう一泊する為に、ネットで調べていて、中野市に中山晋平記念館がある事を知った時には、心躍る思いがしたものでした。

うさぎのダンス・カチューシャの唄・ゴンドラの唄 など、彼の作品を私はツィター用に編曲していますので、記念館を訪れるのも大きな目的となったのです。

中山晋平記念館外観 中山晋平記念館 外観

 

記念館遠景

中山晋平記念館外観 遠景

 

 

中に入るとコンサートも出来る小ホールで、学芸員が中山晋平の音楽人生を簡潔に纏めたDVDを、たった一人の来訪者の為にも厭わずに写してくれるのでした。中山晋平は東京音楽学校を卒業後、北原白秋・西城八十・野口雨情など優れた文学者・詩人との交流により、後世まで愛される素晴しい作品を数多く残した事、少年時代を過ごしたここ下高井郡新野村(現中野市)の穏やかで豊かな自然環境が作風にも大きな影響を及ぼしたことは疑う余地も無いでしょう。20分程の映像を観た後、館内の展示室、庭園を廻り、生家の外観を見て、のどかな気分になりました。

 中山晋平 生家  (現在は ご縁続きの方でしょうか、中山治 さんという方が住んで居られます。)

中山晋平 生家

記念館前の田んぼ田んぼ記念館前の

 この環境で育ち、東京に出てからは一流の文学者世界との交流があったという、人が作品を残す上で環境が如何に大切か、という事を今更ながら強く感じたのでした。

中山晋平 銅像

 

 

中山晋平 銅像

カチューシャの唄 像(ボタンを押すとメロディーが)

 なgカチューシャの唄 像 (ボタンを押すとメロディが

 

 

 

 

 

 

千曲川で石ころを拾いたい、これも目標の一つです。戸倉温泉の千曲川畔に建つホテルに着き、部屋に通されると、眼下は公園その向こうが千曲川。向こう岸のさらに奥には山々が連なっています。オーストリアのデュルンシュタイン、汽船の行き交うドナウ川に、まだ見ぬ千曲川を重ねて思い描いて来たものの、川幅・流量ともにドナウには比べるべくも無し、でした。

千曲川旅情の歌 (島崎藤村作詞・広田竜太郎作曲)

小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ

哀切を帯び詩情豊かなこの詩と旋律、音域も広くはなく、アルトの私にも歌えることから、くにたち三年生の頃、試験の自由曲として歌った事も懐かしい想い出です。

石ころ拾いに川岸に降りられるかフロントで訊いてみると、去年の12月の台風で、上流では氾濫し大変な被害を被ったとの事、この辺りはどうやら決壊は免れたものの、河川公園は積もった土砂、樹木は殆んど立ち枯れの状態のまま、未だ修復は完了していない、従って岸辺に降りる事は出来ない、という話でした。

宿泊したホテルの部屋からの眺め  (運動公園)

 

ホテルの部屋からの眺め

運動公園からの千曲川

IMG_5462 (1)

 

 翌朝6時頃に起きて対岸を見ると、車が止まり、釣りを楽しんでいる人がある、河原に降りられるじゃないの!それならば、と車で行ってみると“工事用車輛入り口”の立て札が。そこを下ると、デコンボコンおまけにザブンの酷い道ながら、流れの近くまでどうやら行けそうです。葦原を縫い、1m幅の流れも乗り越えて進むと、ホテルの部屋の窓から見えた黒い車が止まっている近くへ、ほらネ、降りられた!

 ホテルマンの言う事を聞いて諦めたなら、ここには来られなかったのだしかなりの悪路も4駆の茶トラ号は本領発揮、却って喜んだのではないかとさえ思えました。

 

 

河原に降りて河原に降りて

 

(右奥へ流れる千曲川)

 

 

 

千曲川は長野県を越えて新潟県に入ると信濃川と名を替え新潟市で海に注ぐ、日本一長い川 (367Km) だそうです。緩い流れに手を浸し、河原で二つばかり石ころを拾って、朝食前の一遊びに満ち足りた気分でホテルに戻り、フロントで報告すると、まあ、よく、、、と、びっくりされました。

IMG_5475 (1)千曲川 河川敷で拾った石ころ(径、14cm, お皿の様に窪んでる)

 

 

目的を全て果たし、この後大事なのは、自宅まで無事に帰る事です。9時15分、ホテルの駐車場を出発、上田市のはずれでガソリンを満たし往路と同様に炎暑の中、長野自動車道・中央自動車道を下り、小淵沢を越える辺りから八ヶ岳・富士山も黒いシルエットながら良く見えます。道の駅、“八ヶ岳”ではトウモロコシや豆類、ハム・ソーセージ、チーズ・ヨーグルト、その他シフォンケーキなど、実に美味しそうな品が沢山並べられていましたのに、何故か何にも買わずに、かき氷だけ求めて、早々に出発したのでした。

 帰路は約束が無いだけ自由で時間調整の必要が無く、出発前は双葉JCT.で、中部横断自動車道に入り、新清水で第二東名を、というルートを考えていたのでしたが、八ヶ岳の他には何処にも寄らず、富士五湖から富士宮に出て、第二東名を通る最短距離のルートをとったのでした。

家へ帰り着いたのは5時を回っていましたから、それでも8時間要した事になります。何か少しは夕飯の材料を、、、と寄ったスーパーストアで、何より先に篭に入れたのが西瓜。まず汗を流した後、待ちきれずに西瓜を食べ始めてフッと子供の頃を思い出しました。

子供らの 食べし西瓜の 残り皮

むさぼり食みし 山羊の懐かし

無事に帰れた事が何より嬉しく、心の中におわします神様・仏様に感謝したのでした。歳を重ねた今となっても、楽ばかりを求めては、深い喜びや達成感は得られないと思うのです。私にとってのエルガリは、楽しみであると共に日々の練習は少々の義務感のあるもので、自らを律する一助になっていると思われます。

人様を楽しませる力はまだありませんが、健康寿命を維持、あるいは伸ばす上で、とても有難い楽器です。ヨーロッパの風景が浮かび来るような音色の民族楽器 ツィター・アルプホルにこのエルガリが加わり、これ等はずっと私を支えてくれるでしょう。

これからも精一杯生きてゆかねば、との想いを新たに、“横手山冒険記”を閉じたいと思います。

2020年8月末日 KAKO

山冒険記 3-3

カテゴリー: 新着情報   パーマリンク